2010年1月20日水曜日

ネットワーキングを考え中

吐息でネットリ2009年12月9日
自己紹介文を考える2010年1月16日

どんな人とつながりたいのか、その人とつながってどうしたいのか。
こんな人に出会いたい、あんな人とつながりたいと。

最近、ほとんど脅迫染みていると思えるほどに「ネットワーキング」が取り沙汰される。起業セミナーに行けば「ビジネスは人脈」が合言葉で、講師からは「人脈地図を作れ」と言われるのである。

私のこれまでの経験では、人との縁は思いも寄らぬところから繋がってくるもので、自発的に人と繋がろうとして、思った通りの結果が出たことはない。

しかし、それに臆するよりも、ビジネスシーンでは果敢にアタックをすることが良い、などと起業セミナーでは言われるのである。
だからどんな人とつながりたいのか、その人とつながってどうしたいのか、こんな人に出会いたい、あんな人とつながりたい…と、明確に描くのが良いとされる。

しかし、自分が相手に「できること」が無いなら、無理に一緒にいる必要はないし。
また、相手から見て私に利用価値が無いなら、相手も私と繋がろうとは思わないだろう。

私に何か利用価値があっただろうか、と考えてみる。

思えば私は、だたの「面白い人」でいれば、それでよかった。「ヨゴレ」である。それで周りが納得した。それだけでその場に受け入れられてきたと思う。やはり「道化の涙」が無いはずはなかったのだが、それでも「面白い人」という期待をできるだけ裏切らないように私自身努力することは、大した苦ではなかった。
私が放った一言で場が弾けたら、「楽しんで頂けたらこれ幸い」と、よく言うのだが、私はこれからも、そうしていくのだろう。…

卑小な自我のために何もかもを手に入れるという傲慢さはマズい。
バランスを保つためには一長一短で、何かを得つつ失いつつというのが健全だと私は思っている。これを得るからこれを捨てる。
だから「欲張っちゃえ!」というのは、私には無いスタンスで、華のあるポジションはどうぞどうぞと他人に譲りまくる。
そんな風に見栄も欲も希薄な私が、だらだらと人と馴れ合うのは、なかなか難しい。

一緒にいて心地よいと感じる人とは、人として共感を分かち合うことで楽しめる人たちだろう。
「男」だ「女」だと言ってこだわりだしたら、もう後はセクハラしかないから、その先はマトモな話がしづらくなる。それはとても刹那的で虚しい愉しみで、それだけを楽しむ種類の人らもいるが、私はそれではない。

そうやって考えていくと、私は一体この先、どんな人に出会いたいのだろう。自分でもまだ描けない。
正直な話、私が本当に心を許せる「お友だち」だと思っているのは、ピンクのうさぎのミィミィちゃん→だけである。
 

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