2010年1月21日木曜日

ピースの補完なのだ

ここ数日、「ネットワーキング」「人脈づくり」について悶々を思い巡らしていて。(
他の人のブログやなんかを見ると、上手に自己紹介をしている人もいる。そういう人からさりげなく学ばねばならない、などとしみじみ思ったり。

しかしやっぱり、今更図々しく「人脈づくり」とかしていく勇気がない。虫唾が走る。

他の人がどう思うのかはともかく、私は、自分の人格の完成を目指して生きていると思う。
自分に欠落したピースを補完しようとする衝動が、人との出会いを生むと思う。
ピースの補完。それがために、人は人に出会いに行くのだと思う。自分に無いものを持った人に出会いに行って、欠落部分を埋めていかねばならない。

例えば、自分がそのように生きたくても生きられなかった部分を生きている人に出会った時、恋の予感が危ない。
その出会いで得たもの全てを喰らい尽くすまで、かなり時間がかかるから、長々と引きずる恋もそういう人への恋心だ。

「僕を見て!僕を見て!僕の中のモンスターがこんなに大きくなったよ」 「助けて!僕の中のモンスターが破裂しそうだ!」(浦沢直樹『MONSTER』/小学館より)

…ピースを埋めた後でレベルアップする、恋する私は文字通り怪物(MONSTER)みたいなところがある。

しかしそうして出会う恋愛の対象も、欠落部分を補うには余りある。

欠落したピースの全てを、家族や恋人や連れ合い、身の回りの僅かな人間だけで埋めていくのは難しい。この時代この社会、それで事足りるほど、ちっぽけでい続けることは難しい。

確かに、私は今貧乏だから、金が要るので金が入ってくるような人に会いに行くのも、ピースの補完ではある。

しかし私は、定年退職した途端に来なくなった父親の年賀状を見ている。本当に、営利目的の人脈はその場しのぎの下らない人脈だとつくづく思った。
ま、それでもその場がしのげるなら、無いよりあった方がいいとは考えられるが、何より、信頼関係の築けない人脈に、何の意味があるのだろう。激しく消耗しそうだ。

取りあえず、まず名刺を作って配るところで、後は後で考えよう、ということで落ち着きそう。


映画『ココ・アヴァン・シャネル』のレンタルがはじまった。この映画、宣伝を見た時に「これは私泣ける!」と直感した。
それで観ようと思ってレンタル屋に赴いたが、まだ一泊二日のみで、一週間レンタルができない。
もう少し待ってから観よう、ということで、他のを借りた。

『MW』と『恐喝こそ、我が人生』。『MW』は待ちに待ったサディストのタマキン(玉木宏)♪
 

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