2010年2月8日月曜日

『ココ・アヴァン・シャネル』と『シルク』

DVDを二本観た。
『ココ・アヴァン・シャネル』と『シルク』。

『ココ・アヴァン・シャネル』ではココ・シャネルの偉大さを知ったが、同時に巷のシャネラーの品の無さを、心底「痛い」と感じた。…まぁ、シャネラーの中には、きっとシャネルがよく似合う人もいるのだろう、きっと。

ココがコルセットを取り払う場面は印象的だった。(実際、コルセットを取り払った最初はポール・ポワレというデザイナーだった。)
女性に生まれついた悲哀は、奇跡を起こすより逃れる術が無いとして、一体奇跡を起こせる女性がどれほどいるものか。ココ・シャネルの凄いところは、奇跡を待たずに奇跡を起こしたところ。

奇跡など、そうそう起こるものではない。だからこそ、追いかけやすい叶わない夢として、奇跡を起こそうとし続けるのはいい。何はなくとも、人が生きる上で夢が無いと生きづらい。

しかしやっぱり、男社会で「女」を武器にできない女に奇跡は起こせないかもしれない。
結婚は社会的慣習。 ココは結婚はしない。しかし恋はしていた。大金持ちのパトロンを掴む縁に恵まれた。
私もパトロンが欲しいが、それを無理難題というのだ。



『シルク』。
絹の奥深さは、追及すれば多分一生ハマって生きていける。絹についてはまとめたい思いがあるが、今は簡単な映画の感想だけ。

この映画、言うなればちょっとした『ラスト・サムライ』。主人公はあまりパッとしないフランス人の男なんだけど。良質な蚕の卵を求めて、遥かな異国へ旅をする。

「現実」よりも「夢」を追い求めたい、これが人間の「衝動」なのかもしれない。この主人公の男は、「夢」の方に入れ込んでしもた。かいらしいフランス人の嫁さんがいるのに、遠い遠いイーストエンドの日本女性を夢現のように追い求めて、人生しくじってしまう。大和撫子、大好評である。

昔、女性の着物の下はノーパンだった。フンドシを漢字で書くと「衣」に「軍」で「褌(ふんどし)」と書くのだが、この字が示すとおり、女が身に着けるものではなかったらしい。
この映画の中でもフランス男に供えられた日本の女の子が着物を脱いでいくのだが、全裸の一歩手前は赤い腰巻だった。つまり、やはりノーパン。
ただ、生理の時はさすがに越中ふんどしを着けることがあったらしいが、その他にも色々分泌される液やら汁やらは、どうなっていたのか、20世紀に生まれた女の性として、頭を抱えて考え込むのだった。
いい勉強になった。


 

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