2010年2月9日火曜日

ソーシャルって何?

 新たなソーシャルメディアの人気に押されつつある Blog(2010年2月4日)
 米調査:若年層のブログ離れが進み,老いも若きもFacebookへ(2010年2月5日)
 位置対応サービスとソーシャルネットワークのパラドックス(2009年12月15日)

とまぁリンク先は色々、近頃のSNSに纏わるニュースでございます。

ブログをはじめて5年。友だちがやっているのを見て、最初何となくはじめてみた。
そもそも、腐女子な文芸部員の成れの果てなので、「書いた(描いた)ものが人目に晒される」という羞恥プレイ的状況は、すこぶる魅力的である。

世の中がブログをやっている人を「ブロガー」と呼んでいることに、違和感を感じつつ、私は自分を「ブロガー」だなどと思ったことはなかった。
いっそ、「まだブログなんかやってるの?」っていうぐらい、ブログを続けてみようかという気もする。
それであっても、私は「ブロガー」と呼ばれることには違和感がある。人のことを勝手に「ブロガー」とかワケのわからん呼び方で呼ばんで欲しい。

私の場合、フィード垂れ流しのSNSなんかでは、ついダラダラとどうでもいいことを垂れ流すが、やはり「腐女子な文芸部員の成れの果て」なので、ブログは一応「できるだけオモロいことを書こう」というモチベーションがある。
だからブログと私は相性がいい。

また、ブログを続けている動機は、自分の言葉や思いのストックであり、言語化することで日常を健全に保てていると思う。
「口下手」を言い訳にするとか、「言葉にできないで黙り込む」とか、「何も考えていなかった」「何も感じていなかった」…という状況は、できるだけ日常で味わいたくないのである。
ある時は立て板に水のような喋り口調で、上司すら喝破する。人間は強いもの刃向かってこそである。その勇気を培うには、それなりに訓練と蓄積が要る。一朝一夕で人は強くはならない。
日々の言葉や思いのストックをブログのようなツールに格納しておくから、誰かに見られているかもしれない緊張感で、「上司すら喝破する」状況のシュミレーションがしやすい。

そんなわけでGoogleよ、頼む。他のサービスはともかく、Bloggerというサービスは無くさないで下さい。


このところ、頻繁に私のブログ記事が他人のtumblrでシェアされているようで、不気味なアクセスに慄いていた。
アクセス解析で元を辿ると、tumblrにログインしないと誰がシェアしたのか見れないらしい。
仕方なくtumblrのアカウントを取得したが、こんなもん設定して使うヒマがない。

私がBloggerを始めた5年前を思い出す。…あの時、Bloggerも全部英語で、私は殆ど嗅覚に頼って設定をして使い始めた。そうして大方使い慣れたあたりで、日本語でも使えるようになって…。tumblrを見ていると、あのときの記憶が蘇る。

Timelog、Twitter、なう、Googlereader、Friendfeed、tumblr…、と流行りのSNSを、私も色々と試した。更には明日、Googleが強力なソーシャル・サービスを公開するらしい(2010年2月9日))。

色んなSNSを試して、そこで私もどうでもいいことを吐き出していて気付いた。
こういうの、人にもよるのだろうが、SNSをしていると「タメがきかなくなる」。
タメがきかないと、精神的な潤いがなくなっていく。

テレビもネットも、自分のイマジネーションの領域をムダ使いしてしまう。
イマジネーションの領域は、精神的な潤いであり、魂の成長の領域である。
イマジネーションの力を自分の現実の未来に注ぐべきはずが、力が分散するから、これは自分の未来を食い潰しているのと同じ。 テレビもネットも便利だけれど、やはり手放しでそれを喜んでばかりもいられない。

情報を「シェア」することで、精神的な潤いにならないならば、SNSというのはやっても殆ど意味が無い。
どうも私は自分のエネルギーを他所にムダに吸い取らせるばかりで、ちっとも自分が得をしていない。更に言えば、ネット上で出会う人というのは、私にとっては「リアルな人間ではない」。何処の誰とも、何と声を掛けるべきかわからぬ、有象無象の物の怪か幻のようなものである。
こんなもんでどうやって「人と仲良く」できるのか。日常、通り過ぎる薄ら笑いの更なる延長線上のようでもある。
「ネットは怖いから」インターネットを全くしない、という人たちの気持ちもよくわかる。
ネットをずっとやる人たちは「みんなネットをしている」という妄想に憑かれ易いが、私の周りを見渡すと、案外ネットを長々とやらない人たちの方が多い。

SNSのアタマの「S」って「ソーシャル」だよな。ソーシャル。どこがソーシャル?そうだ。SNSを使っても最終的に「ぼっち」の私は、天性の「ぼっち」なのだ…!と悟る。
そんな私は、これまた「ぼっち」を悪いことだとも思っていない。「だってそれが私なんだから、仕方ないじゃない」という居直り様。我ながら強情な子である。

そもそも私は、いつ死んでもいいような欲の薄い子である。今生きている世の中の人々のように、貪欲に、強欲になれないのなら、私はきっと、いつまでたっても「ぼっち」のままなのである。

男女共同参画センターの『女性の起業セミナー』で、「人とつながろう!」「ネットワーク!」と仰る先生が、私に向かっては何をアドバイスしてやればいいのかわからない、「あなたの好きにすれば」って態度になるのは当然。言ってもきかない、ヤル気の無い奴にアプローチするのは疲れるものな、そりゃ。

こんな私が、よくもこの歳まで性懲りも無く生きてこられたものだ。人生とは奇なものである。


あ、先頃tumblrでシェアなさった方が遠巻きにご覧になっておられるかもしれないので、ご挨拶。
そんなわけで、私は(しょこたんほどではない)「ぼっち」ですが、遠巻きにどうぞ仲良くしてください♪
 

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