2010年3月2日火曜日

「女子」という呪い

日経WOMANで「~女子」とか「女子力」という言葉をよく目にする。

魔法だ。あれは魔法の呪文だ。
あの「女子」という呪いを解く術も考えておきたい。

「女子」が多用される背景にあるのは、ただ面白がっているのと、派遣やパートなど安い賃金で働かせることのできる「女子」を持ち上げて働かせて、経済の下支えをして貰おうという魂胆だろうか。
そうして女子を働き者にしておいて、男を働けなくして身動きのできない豚に変えていく。
神話のアマゾネスとでもいった方がカッコいいのかもしれないが、ヘンゼルとグレーテルみたいな世界だな。このお菓子の家の魔女は、誰だ。

別にバックラッシュ派でもないんだけれど、やっぱり、男女共同参画の「論」みたいなもんは鵜呑みにしづらい。
「働く女性」だからと、男女共同参画的な奇妙な縛りの中に押し込められるのは嫌だ。
しかし、これからは男女共同参画に賛同する人たちが「少子化を解決」していくんだろう。私は彼らのそんな薄ら笑いの価値観に抵抗し続けるんだろう。それが私の生きる道だから仕方が無い。

そう、元々、何もないのだ。私の原点はそれだ。
その上で、生きている限りは誰しも「生きる衝動」があって生かされている。個々に宿る「生きる衝動」を、自他共に認めてやること。更にその上で「自分におけることの裁量権は、ことごとく自分で保持する」ということ。
それが「自由を手にする」ということで、この自由があってはじめて私は自分の「いのち」を生きることができる。
多分、他の人もそのような「いのち」であろうと推測して、他の人もそれぞれ「いのち」を生きてほしいとを望む。これは私の「やさしさ」の元。

と、いたってシンプルなところに、ヘンな制度や「論」の押し付けや浮き足立った流行文句は、本当に迷惑だ。寄れば寄るほど吐き気がする。
 

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