2010年3月17日水曜日

家事の事情について

このところ、アクセス解析を見ると、何だか「心配そう」に足跡を辿られる方がちらほらいらっしゃる。
このあたりの記事→()を見て、経緯が気になられた方、もしくはかねてからの知人だろう。

もう5年もブログをしている。過去には全て書きちらかしてきたけれど、これだけ時間が経つと、自己紹介も兼ねて若干説明が要るかもしれない。
気になった方のために、一応過去記事のリンクも貼っておきます。

私がブログをはじめた頃、ダンナはブラック企業に勤めており、ダンナは仕事でホテル住まい。私たち夫婦は別々に暮らさざるを得なかった。
その経緯→(※、)

ダンナは、最初のブラック企業からは逃げ出せたものの()、ブラック企業のスパイラルにハマり、行く先々で理不尽な重労働を押し付けられてしまう。
ある日、ダンナの母が脳梗塞で倒れる。ダンナは契約社員だったので、契約を更新しないで実家の老々介護の見守りに単身帰省。今生の別れを決意して、私たち夫婦はまた別々に暮らしはじめる。
その経緯→(

直後、派遣切りの時代が到来する。(

その後の経緯→(

老々介護だけでなく、男性の介護という問題も近頃ようやく大きく取り上げられるようになってきたけれど。
マジメにやっていると、生きている意味というのは全くわからなくなる。

本当は、ダンナとまだまだ共有したいたくさんの思いがあった。その思いを切り捨てることで、この先の覚悟を持つということだ。
一緒にいて孤独を味わうよりも、独りの方が身軽で楽だと割り切った。…確かに、年老いて何の言葉も交わさないけれど、黙ってお茶を飲むだけの二人っていうのも悪くないけどね。

手をつないで歩いていたら、二人の間の地面が二つに裂けはじめて、このまま手をつなぎ続けたら、二人とも地面の裂け目に落ちてしまう。そんな時、二人は手を離すこともあるだろう。

このところ、私の海馬も強くなった。
嫌なこと、しんどいことがあまり覚えられないし、記憶に残らない。

でも本当は、私の芯は号泣というか、慟哭している。胸がちぎれそうな思いではある。
それが表に出ないほど、私も色々と苦労していきているから、あの『ゴッドファーザーⅢ』のラスト、…ヘンな生き物の嗚咽というか鳴き声が聞こえる、何だろう、え!あんた、それ泣いてたん!?…みたいな、アル・パチーノのマフィアの首領の泣きの芝居の心境である。

人に話す時も、あっけらかんと笑いと漫談に変えてしまうけれど、そうして発散することで、私は案外救われている。
この可愛げのない、自分自身の饒舌さを、散文的に、嗤う。
 

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